day3-rockの日記

day3-rockの徒然なる日記です

閉眼供養とお焚き上げ

土曜日、実家仏壇の閉眼供養と位牌、神棚のお焚き上げを、両親の葬儀のお勤めをしていただいた千寿院住職にお願いした。

仏壇をどのように処分するか困っていたが、結局一番良い形で供養することが出来ホッとした。また一つ肩の荷が降りた気がした。

実家の片付けもあらかた済んだ。次のオリンピック連休に実家に泊まり、これが最期になるのかな、と思っている。

実家にいると両親、祖母が今でもそこにいるような気にさえなるのだが、それさえも少しずつ段階を経て、全て思い出にかわっていくのか、と思う。

売買契約

5/23(日)、実家一部40坪の売買契約が完了した。3,980万円という当初考えていた価格よりかなり高い値段で買い手がついた。あっという間に決まり、やはり実家は需要のある土地だったのだと改めて思った。

これで当初考えていた借入額が大きく圧縮されるだろう。家族も喜んでいる。測量に時間がかかるらしく、解体前の片付けは遅くも7月末完了とのこと。

ここ1〜2週間は不動産売買や母預貯金部分の姉への支払い等、仕事も報告ものが集中しており、バタバタだった。姉への預貯金分割(相続手続自体はこれから。支払期限に間に合わないので手持ちをかき集めて先に送金した。)、不動産売買契約が片付き、急ぎのものは方がついた。

今後は2ヶ月程度で実家の家じまいを進めなければならない。母が亡くなって一年、当初一巡目の片付け時は捨てられなかった物も、断捨離というか、ある程度捨てられるようになってきた。

ピアノも電子ピアノも残せない。余分な物をしまっておくスペースもないので、思い出のある物もどんどん処分していく他ない。

売却が高値で決まりホッとした反面、実家やたくさんの思い出との別れが差し迫ってきている。

母の一周忌

母の一周忌が終わった。

自分としてはそれほど重く捉えてはいなかったつもりだったが、終わってみると少し気が抜けたような感じになった。

参列したのは自分、妻、娘、息子の家族4人。あとは上の姉と義兄、たったの6人だ。下の姉夫婦は早くから参列しない旨連絡がきていた。母の弟妹は弟である叔父が叔母が亡くなったばかりで体調も良くなく欠席、妹である叔母は入院中とのこと。今まで両親がつとめてきた法事等は親戚もしっかり参列し賑やかなものだったが、母がいなくなって、もう親戚もばらばらになって付き合いもなくなっていくのだな、と改めて思った。

自分たち姉弟が相続で揉めたのがもちろん一番の大きな要因だが、そもそも両親の存在はそれぞれ長男・長女ということもあり、親戚の中でも要だったのかもしれない。自然な流れと感じつつも、とても寂しく、また少し申し訳ない気持ちにもなった。

また久し振りに上の姉夫婦とも少しだけ実家の片づけについて事務的な会話をしたが、嫁にいたってはこれで姉たちと会うのも最期と言っていた。

あれだけ罵り合いながらもやはり自分は姉弟なのだろう。4,500万円という大金を支払うとしても、どこかでやはり「お姉ちゃん」という想いがかすかにあるようだ。

この先は全くわからない。下の姉などはもう一切姿を見せるつもりはないように思える。上の姉の子供たち、姪と二人の甥もそうそう顔を合わすことはないだろう。

これで良いと思っているわけではない。しかし自分は両親との約束を果たすために精一杯がんばったのであり、幼い頃両親・祖母がいて、少し年の離れた二人の姉に可愛がられていた頃を思うとまさしく諸行無常の想い。また少し涙が浮かんできた。

調停終了

4月30日(金)、3回目の調停に行ってきた。前回、こちらの提示した代償金4,500万円を姉たちはのむのか?

 

姉たちがのんだ。

支払期限は年内いっぱい、それ以上は待つつもりはないそうだ。また預貯金についても、祭祀承継分としてこちらが100万円プラスして受け取るという主張が受け入れられた。

ひとまず両親が残してくれた土地を、一部ではあるが残すことになった。

同時に自分は4,500万円の負債を抱えることになる。残り40坪の土地がいくらで売れるか?たとえ4,000万円の高値で売れたとしても手取りは3,500〜3,600万円か?どちらにせよ1,000万円以上の持ち出しとなるだろう。

これから忙しくなる。年内には40坪を現金化し、不足分を銀行から借り入れなければならない。

 

昨晩から連休中、実家に一人泊まっている。あと一月ちょっとでこの家も解体することになるだろう。片付けもそうだが、気持ちの区切りもつける必要がある。両親、祖母、50年近く自分はこの家の息子だった。自分を育ててくれたこの家には、両親、祖母の温もりが残っており、いつも無条件で自分を受け入れてくれるのだ。

 

思い出は尽きないが残された時間は少ない。自分の気持ちの整理と、遺品、思い出の品々(大正時代の祖父の卒業アルバムもある!)、全て整理し、新しい一歩を踏み出さなければならない。

調停第二回目

昨日、姉たちとの調停第二回目がさいたま家庭裁判所で行われた。

前回、調停委員から合意できなければ実家は競売になると言われた。腹を括らなければ勝負にならないと自分は考えたが、姉たちも動いた。

相続税の申告をお願いした税理士を使って、先週、私を説得にかかってきた。私は差し違える覚悟で売却には絶対に応じない旨伝えた。

結果、昨日の調停で姉たちが代償分割の検討に応じてきた。金額を検討して次回回答するとのこと。姉たちは代償分割とするなら代償金5,000万円を主張していたが、私は4,500万円を主張した。

 

ここ1ヶ月、ずっと相続のことで心血を注いできた。不動産販売会社四社による査定・面談、税理士の個人面談、裁判所に提出する「主張書面」の作成。

流石に疲れた…。そして少しホッとした。半分以上諦めていたのに、もしかしたら母の望みである実家の土地を残せるかもしれない(70坪のうち30坪だけだが)。

 

次回調停は少し間が空いて4月30日。結果はまだまだわからないが、その間、実家の片づけ、母一周忌の準備、その他調停に向けての準備を行うつもりだ。

しばらくバイクで出かけていなかったが、時間をつくって温泉あたりでのんびりしたい。レスポールも弾かなくちゃ。うっしっし。

調停第一回目

昨日午後、さいたま家庭裁判所にて姉たちとの遺産分割調停の第一回目を行った。

調停委員からの初めの説明だけ姉たちと同席で行われた。姉たちは自分とはいっさい目を合わせることはなかった。

調停委員2名のうち特に1名が初めから雰囲気が悪かった。自分が経緯等説明している間も微動だにせず、マスク越しにこちらを睨みつけているように感じた。

結局、姉たちの主張は何も変わらず、①実家70坪を売却し三等分、②30坪を相続したいのであれば、姉たちが提示した実勢価格8,100万円から諸費用を差し引いた7,500万円の三等分、一人あたり2,500万円を用意せよ、といったものだった。調停委員も姉の主張が至極当然で、この案件は今日決着がついてもおかしくない案件だと言われた。

家を残したいという母の想いとそれに答えたいという自分の想いを踏みにじり、法律で定めたとおり、しかも実勢価格という最も高額な金額を提示し、「びた一文負けません」という姉たちの姿勢。これが正義なのか?

調停委員には、「調停が不調に終わった場合、審判に移行し実家は競売となるだろう。価格は1/3とかで売られてしまうよ。」と自分からすると脅しのようなことも言われた。

 

昨夜はほとんど眠れなかった。疲れた。考えは全くまとまっていないが、始業前に実家旗竿地40坪売却査定をネットから依頼し、すでに業者から連絡もきた。

次回調停3月1日までに腹を括らなければならないだろう。70坪全て売却に同意するか、又はこちらから代償金額を提示し、同意できなければ決裂・競売という覚悟を決めるか。

残された時間は少なくなってきたが、疲れをとってよく考えたい。

 

youtube初アップ⁉

先日、古いレコードプレイヤーの試聴でモンキーズの  「I wanna be free」をちょこっと聴いたが、久々に聴くと良い曲だな~と改めて思った。モンキーズは作られたアイドルグループだったかもしれないけど、曲は良かった、と思う。

で何となく、これまた久々だけど愛器Martin D-28をひっぱりだして演ってみた。さわりだけだけど、youtubeにもチャレンジしてみた。


I wanna be free

上手くいったかな?なにしろやっつけだ。実家の片づけの合間にやってみた。

 

さあ明日からはお仕事だ。