day3-rockの日記

day3-rockの徒然なる日記です

実家とのお別れ

8/7(土)からの3連休、土日に最期の実家宿泊を行った。実家の広いお風呂にゆっくりとつかった。土曜は塾の帰りに息子もお風呂に入っていった。

本当に広い家だ。体を伸び伸びとしても余裕だらけ。無駄な空間が豊富にあって、ストレスも何の遠慮もなく、自分の全てを受け入れてくれる優しくおおらかな母なる空間だ。

自分はこの広い家で育てられたのだ。この家は昭和51年築、自分が小学校1年か2年の時。すでに45年の月日が経つが、この家を建てた両親も居なくなり、その役目を終え、最期にこの家の息子である自分がその家終いの役割を果たしているのだ。

 

最期はゆっくりピアノを弾き、この家とのお別れをし御終いにするつもりだったが、結局は最期の片づけや荷物・バイクの搬出等で昨日は慌ただしく過ぎ、全てが片付いたのは18:00過ぎ。そこから最期にピアノを弾き、少しだけこの家とのお別れの時間がもてた。

昼間は何度も胸がいっぱいになって涙が溢れてきたが、最期、荷物も何もなくなり、がらんとした家の中を見ると、今までこの家に充満していた父や母、祖母の温もりや思い出が急速に褪せていくのを感じた。別れが寂しいというより、「ああ、終わったんだな。」といった虚無感に覆われている気がしてきた。

 

今日から解体工事が始まり、仕事帰りにちょっと寄ってみたが、まだタンスなどの残置物の撤去のみでピアノはそのままだった。ただ、外観だけ見ると自分の知っている実家の佇まいなのだが、中に足を踏み入れると、すでに両親と自分たち家族の思い出(痕跡?)を感じるようなものではなかった。明日はさらに解体が進むのだろう。

母が亡くなって一年ちょっと、少しずつ少しずつ、全てが色褪せてくるのだろうか?ただそうならないと、次の新しい生活が始まらないのも事実だ。

 

両親が亡くなり、対立した姉たちとは疎遠になり、長く育ててもらった実家を解体する。自分にとってはここ数年で一挙に人生の区切りと言えるような出来事が次々に起こっていった。自分に無償の愛情を注いでくれた存在はこれで全ていなくなってしまった。

ただ自分には可愛い子供たちがいる。今度は自分がその無償と言える愛情を注ぐ番なのだろう。53歳になってそういった人生の段階、順番がまわってきたのだろう。

 

それでもやはり両親、祖母は空の彼方から自分を見守っているような気がする。変わらず無償の愛情で。そう綴ったところで、また涙が浮かんできた。

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